一道に携はる人、あらぬ道の筵(むしろ)に臨みて、「あはれ、我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを」と言ひ、心にも思へる事、常のことなれど、よに悪く覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし。などか習はざりけん」と言ひてありなん。我が智を取り出でて人に争ふは、角ある物の、角を傾け、牙ある物の、牙を咬み出だす類なり。
人としては、善に伐(ほこ)らず、物と争はざるを徳とす。他に勝ることのあるは、大きなる失なり。品(しな)の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人に勝れりと思へる人は、たとひ言葉に出でてこそ言はねども、内心にそこばくの咎(とが)あり。慎みて、これを忘るべし。痴(をこ)にも見え、人にも言ひ消たれ、禍をも招くは、たゞ、この慢心なり。
一道にもまことに長じぬる人は、自ら、明らかにその非を知る故に、志常に満たずして、終(つい)に、物に伐る事なし。
徒然草 第一六七段
一道に携はる人